おっぱいのジレンマ。
やい!野郎ども!良く聞け!
もう何度も何度も何度も何度も言ってるけど、
僕の顔見る度に「ヨッピーさんお勧めのソープランド教えて下さい。」とか言うのやめろ!
行った事ないから!
「またまたぁ〜。じゃあ普段はどこのおっぱいパブ通ってんすか?」
「普段は」ってなんだよ「普段は」って!
日常生活みたいに言うのやめろよ!
そしたらなにか!僕にとっておっぱいパブは普段着か!
タートルネックのセーターか!
おっぱいパブなんて行って無いし行った事すら無いっつーの!
で、行ってみようと思いました。おっぱいパブに。
まあ待て。待て待て。
そんな風に軽蔑した目で僕を見ないで頂きたい。
何がスケベだ!全然スケベじゃないっつーの!
イヤラシイ目つきでヨダレ垂らしながらパイオツを揉みまくってる連中と一緒にすんじゃねーぞこの野郎!
僕の場合はあくまで社会科見学的な感覚なわけですよ。わかる?
小学生の頃にパン工場に社会科見学に行ったでしょ?
あの感覚なわけ。
パン工場(おっぱいパブ)に出かけ、工場長(おっぱいパブ嬢)の話を聞くのが目的なわけですさ。
いわば社会勉強ですよ。そんな不純な動機の連中と一緒にしないで頂きたい。
ま、パン工場に行った時は出来たてのパンを試食させて貰ったから、今回もそういう試食的なものはあるかもしれませんね!
弾力とか味とか、そこらへんを重点的にチェックしたいと思います!
いやーー試食最高!!!
兎に角。
そんなこんなで「おっぱいパブに討ち入るでござる!」と雄叫びをあげたのはいいけど、
ほら、何せ相手はおっぱいのプロですからね。
入店したが最後、パイオツ北斗神拳的なものでボコボコにされて身ぐるみはがされるかもしれないじゃないですか。
「私のおっぱいは108式まであるんだぜ…?」とか耳元で囁かれたら日にゃ財布置いていくしか助かる方法無いですからね。
んだからそういう事態を避ける為にとりあえず情報を、と思って調べてみたわけ。
googleで「おっぱいパブ 新宿 巨乳」と入力して検索。
新宿 パイオツ女学院 45分9000円〜
新宿 倶楽部パイオツ 50分10000円〜
新宿 ザ・好き放題 40分9000円〜
ギャーーッス!!
めちゃくちゃ高ぇー!何これ!
バブルか!バブルの再来か!
完全にインフレじゃん!
ちょっとさ、冷静に考えてみようよ!
おっぱい、っつったってただの脂肪の塊じゃん!上にレーズン乗っかってるだけじゃん!
そんなもんに必死にならなくたっていいじゃん!
そんなだからおっぱいの野郎が調子乗ってこんな値段つけちゃうんだよ!
あの野郎完全に天狗になってますからね。
まさにパイオツ天狗ですよ!
何が「まさに」なのかはよくわかんないけど!
兎に角、ここらで一回突き放すべきだと思うんですよね。
ほら、僕らがアホみたいに「おっぱいだ!おっぱいに今すぐ会わせろ!」なんつって騒ぐからさ、
おっぱいの野郎も「あら?アタシってそんなに魅力的かしら?」なんつって調子乗ってさ、
「じゃあちょっと希少価値を高めるためにブラジャーの中にでも入ろうかしら?」ってなもんで隠れちゃうわけですよ。
ね。これ。
僕らがおっぱいを求めれば求めるほど、おっぱいはどんどん遠ざかっていくんです!(=おっぱいのジレンマ)
だからここらで一回ね、「お前になんか興味無いで?」って言ってやればいいと思うんですよ。
隣に巨乳OLが来ようとも、水着ギャルが来ようともですね、
「ふーん。で?」って言ってやればいいんですよ。
そしたらおっぱいの野郎も「え?アタシ嫌われてるん?」って焦りはじめるわけさ。
「え?アタシ別に天狗ちゃうで?ほらほら、こんなに気さくやで?」ってブラジャーの奥からチラチラ顔を出しはじめたりしてさ。
そしたらその内、「タカシ肉じゃが好きやったやろ?作りすぎたからタッパーに詰めて持って帰ったらええやん。」とかなんとか言いながら全貌を現すから、
その一瞬、その一瞬を見計らって一気にレーズン部分をつまみあげてやればいいんですよ皆さん!
革命の日は、近い!!!
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2008年01月30日 | 日記 | トラックバック:0 | コメント:10
田村(仮名)について。
親父についての日記を書いて以来、昔話を書くのが僕の中で流行中なので今日も書いてみようと思う。
高校の頃の話。
〜〜〜〜
僕が高校の頃、つったら「オーシ!ナツニムケテキアイイレテクゾー!」なんて熱血部活野郎でも、
「アー!?オマエドコチュウダコラー!」なんつーヤンキーでも無く、
学校では特進科っていうかなんて言うか、
お前ら連立方程式でヌいてんじゃないの?ってくらいメガネ率の高いクラスに居てすこぶる平凡な人間でありましたが、
当時、鉄拳というアーケードゲームが大好きな僕が通ってたゲーセンには青とか赤とか黄色とか、
非常にファンタスティックな髪の色をしたヤンキーと呼ばれる方々がいらっしゃってまして。
で、僕を含む仲良しグループが何故かそのヤンキー集団に「面白いやんお前ら!」みたいなノリで気に入られ、
気に入られたあげく「面白い奴ら紹介してやっからお前らも来いよ!」なんつってヤンキーが援軍を要請。
そしてヤンキー特有の「友達の友達、つったらもうマブダチじゃねえか!なあ!」なんつー迷惑極まりない思考回路のせいで、
あれよあれよという間にヤンキーの顔見知りが増殖。
平凡に生きていた高校生が、
「おい!平野さんや!挨拶しろ!」
などとヤンキーに促され、
「平野さん!チワッス!」
と、直立不動の体勢でパンチパーマ姿にセカンドバッグを抱えた、
純度100パーセントのヤクザに挨拶する姿はかなりシュールだった。
知らない内にDQNの仲間入りである。
そのヤンキー連中はちょっとここには書けないような悪事を働いていたようだが分別をわきまえてる、
と言うのかなんと言うのか、妙に僕らに一目置いている、ような所があって、
使いっぱしりにされる事も無く直接的な被害は何一つ受けなかったので、
僕らは特に気に留める事もなくそのゲーセンに入り浸った。
ある日、僕は学校帰りに「鉄拳勝負しようぜ!」とクラスの友達を誘った。
向かったのはいつもゲーセン。
「おう!ヨッピーやんけ!」
出迎えたのは赤、青、黄色の頭をしたヤンキーの面々。
「今すぐ帰りたい」
振り返った僕を見る友達の目がそう訴えていた。
連中の事を計算に入れなかった事を酷く悔やんだが後悔先に立たず。
案の定友達は「お前どこ中なん?」「どこ住んでんの?」などとがっつりヤンキーに絡まれている。
そうこうしている内にけたたましい音を立てる原付にまたがった別の顔見知りのヤンキーが向こうからやってきて、
その姿を見ると血まみれ。
何があったのか、とざわめく一同。
「おい!どうしてん!?大丈夫か!?」
「おう。返り血やから大丈夫。」
5分後、急用を思い出した友達が家に帰った。
と、ここまでは余談(長いな)。
この時に知り合ったヤンキーの田村(仮名)について書こうと思う。
田村は僕らと同い年の上、突き抜けた馬鹿っぷりで僕らを笑いの渦に叩き込むスキルを持っていたので、
そのゲーセン以外でもちょくちょく遊ぶようになる。
田村のエピソードを紹介しよう。
○田村と道を歩いて居ると、田村からチリンチリンと甲高い音が聞こえてくるため、うるさく思った友人が「何の音だ。」と田村を問い詰めると、「ん?ストラップ。」と携帯についた風鈴を得意気に見せた。
○待ち合わせ場所に現れた田村の足元を見ると、白いキャンパス地に何やら文字が書き込まれたデッキシューズを履いており、良く見ると黒いマジックペンで「ラルクアンシエル」「シャズナ」「ラクリマクリスティー」等のバンド名が手書きでビッシリと書かれていた。何故そんな事をしたのか、との友人の質問に対し「好きだから書いた」と答える。
○「カフェほのか」という名前のカフェを発見した田村。その「ほのか」という名前を気に入り、店の前にあった看板を持ち上げ、「カフェほのかじゃー!」と絶叫しながら黒人に投げつける。僕らは逃げた。
○履いていた「LIVISO(リーバイソ)」というパチもんのジーパンが、「実はビンテージ物で、古着屋に持ち込めば10万円以上で売れる」という友人の言葉に騙され、ジーパンを古着屋に持ち込み「いや、これはちょっと…。」と引き取りを断られる。
○自分の彼女とのデートの待ち合わせ場所に金属バットを持って現れたらしい。理由は「そこらへんのイケメンを殴るため」
○コンビニの前でカップルとケンカになり、コンクリートブロックで彼氏の頭を殴打、逮捕される。
以上の事から類推して頂ければおわかりの通り、
田村はまさしく本物のバカであり、究極の天然である。
更にどこからどう見てもヤンキーの風体、血の気も荒いと来ているので、
田村と一緒に居ると8割方何らかのトラブルに巻き込まれる。
大阪にはアメリカ村、と呼ばれる東京で言うところの渋谷センター街に該当する地域があって、
僕らはそのアメリカ村にしょっちゅう遊びに行っていた。
特に夜のアメリカ村は独特の雰囲気があって好きだった。
しかしながら高校生の身分でお金も無かった当時、
アメリカ村へ行っても特にする事も無く、
ブラブラ歩いている内に「暇だ」という結論に達し、
そして「暇だから田村を召喚しよう」という流れになるのはいつもの事だ。
田村に電話をかけ、彼の到着を待つ。
ベンチに座ってダラダラ話しながら30分ほどすると「おーい!」という声がして、
その方向へ目をやると向こうの方から屋根の上に人を乗せたワンボックスカーが走って来て、
赤色の髪のヤンキーが屋根の上で元気に手を振りながら走り去っていった。
田村の登場である。
僕らは田村に「何故車の屋根の上に乗って来たのか」などとは言わない。
田村の行動の一つ一つに理由を求めていたらキリがないのだ。
「田村だから」その一言で僕らの誰もが納得するのである。
先に断っておくが、基本的に田村は良いヤツである。
人なつっこくて優しくて素直ですこぶる真面目な性格の男だ。
何せテスト前2週間ともなると田村は僕らの前にぴたりと顔を出さなくなる。
家で必死の猛勉強するらしく、テストが終わると、
「今回はデキが良かった。」などと言いながら30点の答案を誇らしげに見せて来るのである。
田村の起こすトラブルの数々も、田村に悪意があって起こしているわけではなく彼の天然ぶりに起因する事がほとんどだ。
一番多いパターンを示しておこう。
田村が道行くヤンキーを発見。
↓
「友達になろうと思って」お前どこ中なん?などと話しかける。
↓
話しかけられたヤンキーは「ケンカを売られたと思って」ああ?お前誰やねんコラ、とケンカ腰に
↓
殴り合いになる
このパターンが一番多い。
そして大抵の場合田村がボコボコにされて帰って来るのである。
僕らの中で、田村の不可解な行動はパンチドランカーに起因するものだと結論づけられていた。
しかしながら僕が大学に入ってから少し経った頃に日ごろの素行がたたって田村は逮捕されてしまう。
何年かの実刑判決が出たらしく、田村と顔を合わせる機会が無くなってしまった。
そんなある日、近所の公園で友達と話していると、
田村と一番仲の良かった鈴木の携帯が鳴った。
「もしもし!?俺!何してんの!?」
電話の相手は田村だった。
鈴木「え、お前刑務所ちゃうの!?」
田村「出てきた!」
鈴木「出てきた!?それって脱走してきたってこと??」
田村「いや、出てきた!」
鈴木「出所したってこと??」
田村「ううん、出てきた!!」
この鈴木と田村の電話は要領を得ず平行線のままで、
「ちょっと切るわ!」の言葉と共に田村に電話を切られてしまった。
結局そのまま田村と会う機会も無く7年近くの月日が経つのだが、
あの日の田村が「脱走」したのか「出所」したのかはいまだ謎のままである。
この件についても僕らは「田村だから」で納得するしか無いのかもしれない。
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2008年01月22日 | 日記 | トラックバック:0 | コメント:6
人間やめました。
ズズーーッズズ!!
ズッ!ズルズルズズズーー!
フーッ!フーッ!
ズッ!ズルズズズズズズーー!!!!
こんばんわ。うどんです。
年末に「忘年会やるからヨッピーさんも来て下さい!!ヨッピーさんが来ないと、アタイ、死んじゃう!」
なんつってエリコ(82歳、老婆)に誘われたもんだから、
中央線っていう貧民窟を縫うように走る小汚いトロッコに乗り込んで吉祥寺の地に降り立った。
ちなみに仕事がおしちゃってぶっちぎりで遅刻。
居酒屋に着いたら下座に座って、
「へへっ!そッスね!おっしゃる通りッス!」
なんつって徹底的に下手に出てたんですけど、
オモコロの後輩であるところの
加藤から「遅くなりましたけど誕生日おめでとう御座います!」なんつってプレゼントを手渡されて形勢逆転。
「え、ちょ、マジで!?やっべ!普通に嬉しいんですけど!」
みたいな感じで27にもなって照れちゃったりして、
「加藤には今までメシ奢ってやったり家に泊めてやったりしたけど、こういう可愛げのある行動を見ちゃうとまた何か奢ってやりたくなるなぁ」
なんて風に思いながら、喜びを胸に秘めながら震える手でガサゴソと袋を空けてみたら、
「ヨッピーさん誕生日おめでとう!」
的な寄せ書きがビッシリ書きこまれて耳無し芳一みたいになったダッチワイフが出てきたので加藤を半殺しにして多摩川に捨てました。
馬鹿なの?ねえ。君たちは馬鹿なの?
なんで「ヨッピーさん27歳の誕生日おめでとうございます!これからもよろしくお願いします!」
なんつー文面を丁度マンコにあたる部分に書き込むの?
そもそもなんでマンコの周りにマジックで毛を書き込んだの?
必要だと思ったの?
そのダッチワイフを見て「毛が足りない!」と思ったから足してくれたの?
いやーありがとうありがとう。
そのままマジックペン鼻に突っ込んで絶命してくれると僕嬉しいな。
まあそんな感じで激怒しながら「ぬか喜びさせやがって!」なんつって加藤を土偶でぶん殴ってたんですけど、
その飲み会に参加していた別の人が「そう言えば僕も…」とか言い出して荷物をガサゴソ漁り始めたわけ。
阿修羅の如く荒れてた僕もすっかりゴキゲンになって、
「やった!マジすかーー!」
なんつって正座してプレゼントが出て来るの待ってたら、
「改めて誕生日おめでとうございます!」なんつって日本酒一升手渡された。
右手にダッチワイフ、左手に一升瓶。
おしゃれ!!!!
兎に角、そんなこんなで周囲から奇異の目で見られながらも無事に帰宅し、
耳無し芳一状態になったダッチワイフを我が家に格納する事に成功しました。
最初は「そんなもん使うわけーねーだろ!」なんて部屋の隅に打ち捨ててたし、
「流石にこれに手を出したら人としてまずい」なんて事は重々理解してたんですが、
理解してたんですが、アレですね!
人間の好奇心って恐ろしいですね!!
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2008年01月17日 | 日記 | トラックバック:0 | コメント:8
親父の事。
東京駅でも新宿駅でもどこでもいいけど、
兎に角そこらへんを歩く50代後半〜60台前半の妙齢のおっさんを適当に3人くらい捕まえて一列に並べ、その中に僕の親父を混ぜる。
「さて、どれが僕の父親でしょうか?」
という僕の質問に対して貴方が「うーん、この人は無いな。」と真っ先に候補から外す人、
その人が高確率で僕の親父。それくらい僕と親父は似ていない。外見も中身も。
身長183cmの僕に対して親父は163cm。
一重まぶたで黒ぶちメガネで横分けで。
タバコは吸わないし賭け事もやらない。
酒だって飲めない。
それでいて職業がいわゆる「学校の先生」だって言うんだからまさに絵に描いたような堅物である。
中学2年の時の担当の数学教師が昔、僕の親父と同じ学校で勤務していて仲が良かったらしく、
僕が何かをしでかすたびに親父を引き合いに出して怒られた。
「お前のお父さんは優しくて真面目で立派な先生やのにお前は毎度毎度授業中にサル山のサルみたいにキーキー騒ぎよってからに…。」
その数学教師は授業中に友達に消しゴムを投げつけてゲタゲタと笑う僕が○○先生の息子、というのが信じられなかったらしい。
要するに僕と親父は正反対だった。
以前に付き合っていた彼女の職業である「ネイリスト」について親父に説明を求められ、
「爪に絵を描いたりする人」と答えた僕に対して、
「お前それイレズミやないか!そんな女と付き合ってんのか!」などと激怒したのは実に親父らしいエピソードである。
その後母親の「何言うてんのお父さん」という仲裁によって事無きを得たものの、
僕の部屋にあった彼女のプリクラを見て「茶髪やないか!!不良か!!」とまた怒り出したのも親父らしい。
当時彼女は21歳である。
そんな風に僕らの交際についていい顔をしていなかった親父ではあるが、
親父が体調を崩して入院した時に彼女から預かったお見舞いの洋菓子を手渡した途端、
手のひらを返したように「優しい子やな」「今時珍しい」などと上機嫌になり、
それ以来「のぞみちゃんとは仲良くやってんのか?」などとしょっちゅう口にするようになった。これまた親父らしい。
要するに純粋、悪く言えば単純なのである。
親父の唯一の趣味が鉄道。
いわゆる「鉄オタ」の親父は週末になるといそいそとどこかへでかけ、
700系のぞみだの、どこぞの夜行列車だのといった電車の姿をビデオカメラに納めては家に持ち帰って編集作業に入るのである。
日曜日の朝っぱらから親父の部屋から流れてくる新幹線の「プ゜ルルルルルル」という大音量の発車音(親父は産まれつき耳が遠かった)に叩き起こされるのは憂鬱そのものだった。
小学生の頃に一家揃ってヨーロッパ旅行に行った。
母親は徹頭徹尾現実主義者で旅行、といったものに何の興味も示さなかったため、
必然的に旅行のスケジュールは親父に一任される事となり、
それをいいことに親父はヨーロッパ旅行の全てを自分の趣味に突っ込んだ。
「鉄道」である。
例を挙げると目的地であるスイスに行く為に、わざわざドイツから列車に乗り込み、ガタゴトと揺られながらスイスとの国境を越えるのである。
その目的地であるスイスも登山鉄道目当てに行くってんだからもうどうしようもない。
終始こんな具合で、旅行中に母親が発した「お父さん。これ旅行ちゃう。移動や。」というのは珠玉の名言だったように思う。
唯一の救いがオードリー・ヘプバーン好きだった親父が組み込んだローマ観光だが、
小学5年生の僕が「真実の口」を見ておおはしゃぎするわけが無く、
コロッセオを見て悠久の歴史に想いを馳せるわけも無い。
僕はディズニーランドに行きたかった。
「二度と行きたくない」という家族からのブーイングぶりにすっかり意気消沈した親父、
どころか、それ以来「これ幸い」とばかりに親父は一人で旅に出るようになった。
裕福な家庭ではなかったのでそう頻繁ではなかったが、
僕が高校を卒業する頃には家のローンが完済したとかで金銭的に余裕が出たらしく、
夏休みや冬休み(教職なので文字通り夏休みと冬休みである)を利用してしょっちゅう海外に出かけるようになった。
一週間くらいフラリと出かけ、帰ってきてはビデオの編集作業に入る親父。
寝ている僕の耳飛び込んで来る世界各国の列車の発車音。
憂鬱である。
僕が大阪を出てから5年が経った。
今年のお正月は東京で過ごした。
11月に出張や友達の結婚式があり大阪にちょくちょく帰った事と、
1/3日に出勤するハメになったこと、そして新幹線代の代金を総合的に考えて帰省を見送った。
その事を親父に告げると少し寂しそうにしていたが「まあ、頑張りや。」の言葉と共に親父は電話を切る。
1月2日に親父が還暦を迎えた。
「明けましておめでとう。今日で還暦を迎えました。 父」
僕は親父が今年還暦を迎える事も、1月2日が親父の誕生日であることすらも忘れていて、 親父からのメールの、その文面を見た時に「帰省するかどうか」の判断材料に喜ぶ両親の顔を含まなかった事を悔やんだ。
「長い間お疲れ様でした。今後はゆっくりしてください。」
そう返信し、一度東京旅行に招待するかな、なんてぼんやり考えていたら電話が鳴った。
「もしもし。お父さんや。どや?東京は。」
「うんまあ元気でやってんで。定年したらどうすんの?」
「まあもうちょっと働くわ。」
「そうか。まあ公務員さまさまで定年後は悠々自適ですなぁ〜。」
「そんなことあらへんがな。」
「おかんと旅行にでも行ったらええやん。」
「うん、お父さんもそう思ってお母さんに提案したら『お父さんと旅行にだけは行きたくない』って言われたわ。」
熟年離婚が非常に心配な今日このごろでありますが、
おかんとこれからも仲良く暮らして下さい。
息子
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2008年01月09日 | 日記 | トラックバック:0 | コメント:28
新年。
12月31日
10:00 起床。
もっとゆっくり寝ていてもいいはずなのに何故か目覚める。
「ずっと更新してなかったし一年の締めくくりに日記でも書きますか!」
と、パソコンの電源を入れる僕。
しかしながらなんとなく体がだるい。
キーボードを打つのが億劫になってきて、
「そうだ。昨日の晩から何も食べてなかったし朝飯食おう。」
と、日記の作成を一時ストップしてコンビニへ。
飲むヨーグルトとカロリーメイトを購入。食す。
5分後、トイレに駆け込みマーライオンの如く戻す。
ここらへんで本格的に体の異変に気付く。
と、同時に母親から電話。
「あんた今年は大阪帰ってけーへんのかいな。」
「うん。今年は東京で過ごすわ。」
「そうか。風邪ひいたりしてへんか?」
「いや、なんか体調おかしいねん。さっき吐いた。」
「え。どないしたん。」
「わからん。下痢もしてるし熱っぽいわ。」
「あんたそれノロウィルスやで。」
「え。」
というわけで2007年の締めくくりはひたすらトイレとベッドの往復を繰り返し、
ポカリスエット以外は何も口に出来ない、という酷い状態のまま死んでました。
何かに呪われてるとしか思えない。
まあそんなこんなで最悪の状況で迎えた2008年ですが、
取り急ぎ新年のご挨拶だけでもさせて頂こうと思います。
明けましておめでとうございます!
今年が皆さんにとって良い一年でありますように!
2008年01月01日 | 日記 | トラックバック:0 | コメント:8